WEKO3
-
RootNode
アイテム
1777年のアルフィエーリとロッビオ : トリノの知識人社会における居心地の悪さ
http://hdl.handle.net/10965/312
http://hdl.handle.net/10965/3124ea5dc5c-6f3d-4187-ab8e-5e67ca476f28
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
AHSUSK_HS_39_112.pdf (633.8 kB)
|
|
Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2017-09-30 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 1777年のアルフィエーリとロッビオ : トリノの知識人社会における居心地の悪さ | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | Alfieri and Robbio in 1777 : Uneasiness in the Society of Intelligent People in Turin | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | アルフィエーリ | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ロッビォ | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 1777年 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | トリノ | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 知識人社会 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Alfieri | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Robbio | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Year 1777 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Turin | |||||
キーワード | ||||||
言語 | en | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | Society of intelligent people | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
菅野, 類
× 菅野, 類 |
|||||
抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | イタリア人の悲劇作家,ヴィットーリオ・アルフィエーリが1777 年の5月にトリノを離れトスカーナへ向かったのは,イタリア語の表現力を向上させるためだったことは良く知られている。しかし,本稿筆者はその旅のもうひとつの理由が,トリノの知的状況内にあったのではないかと考えている。 1773 年,ヴィットーリオ・アメデーオ三世が即位したことをきっかけに,トリノの知的環境は劇的に変化した。伝統的な厳しい統制から解き放たれたことで,トリノはかつてない文化的活況を迎えたのである。しかし,過度の自由は制限されるべきであるとの保守的意見は存続し,1777 年に出版されたベンヴェヌート・ロッビオの『えせ哲学論』により勢いを取り戻す。ロッビオは知的風潮の堕落を警戒し,社会秩序を守るために検閲の重要性を訴えたのだった。アルフィエーリが『専制論』の原案を書き,主にトリノ社会を念頭に置いたものと見られる君主制批判を展開したのも,ちょうどその年のことであった。 これらの対照的な意見がほぼ同時に現れたことは,単なる偶然とは思われない。ロッビオとアルフィエーリは同じ文芸サークルに所属しており,さらにロッビオはアルフィエーリに悲劇の書き方を指導していた。相手の態度と考え方を直接知りうる関係に二人はあったのである。 『えせ哲学論』の出版以降,ロッビオは政府の文化政策に関わっている。これは,トリノにおいて保守的論調が支配的となったことを意味する。一方アルフィエーリは,自由な立場で執筆活動を続けられるよう,祖国との関係を絶つ決意をする。たとえ明確に言及されてはいないとしても,トリノの知識人社会における居心地の悪さが,アルフィエーリをトリノから遠ざけた要因のひとつであったものと考えられる。 |
|||||
書誌情報 |
京都産業大学論集. 人文科学系列 巻 39, p. 112-130, 発行日 2008-03 |
|||||
出版者 | ||||||
出版者 | 京都産業大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0287-9727 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN0006019X | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |